マイリバー Vol.2(猪名川・藻川/安田博之)

 

私のマイリバーは、猪名川・藻川(淀川水系)です。

私は、猪名川・藻川がすぐそばを流れる尼崎市食満(けま)で生まれ育ちました。現在も実家のすぐ近くに住んでいます。

猪名川は尼崎市と伊丹市の境界付近で、猪名川本流(東)と藻川(西)に分流し、数キロ下流で再び合流します。分流点から少し下流には弥生時代の遺跡で有名な田能遺跡があります。さらにその下流には住民運動がきっかけで残った猪名川自然林があります。昭和40年代の河道ショートカット工事の際、旧河道と河畔林を残す住民運動が起きました。残された猪名川自然林(都市公園等として位置づけ)は、今では都市に残された貴重な自然として市民に親しまれています。

私の実家は猪名川と藻川から水を引き、代々農業を営んできました。元文5年(1740年)の三ツ又井組(猪名川水系の井組のひとつ)の水論の際、下流9ヶ村の連名で井堰のある上流の田能村を奉行所に訴えています。その訴状の中に、私の先祖が原告の中食満村代表として名前が出ています。猪名川と藻川の分流点において、流量が一定しなかったので、長い間、水争いが繰り返されたそうです。

ちょうど今の時期、たんぼに入る水を見るとご先祖さんは、たいへん水で苦労したのだなとしみじみ思います。現在は、区画整理され水路もきれいな(?)三面貼コンクリートになり、水の確保には困りません。

私自身の関わりといいますと、猪名川・藻川は小さい頃からの遊び場ではありましたが、残念ながら水に入って遊んだことはありません。子ども時代の昭和40年〜50年代、猪名川・藻川はすでにひどく汚染されていました。私の父親が子供の頃(昭和20年代まで)は、流れはとてもきれいで、泳いだり魚をとったり、河畔林ではカブトムシを捕まえて遊んだと聞いています。もちろん蛍もたくさんいたそうです。この一世代でよくもここまで変わったものだと思います。

その他、猪名川の最上流付近にある里山(猪名川町)で里山保全活動をしている市民団体「あまがさき山仕事体験隊」に参加しています。

10年近く前から近畿水の塾などで水環境に関する市民活動のお手伝いをしてきましたが、この4月から仕事でも川に関わるようになりました。現在、市内の河川・水路の改修や管理などを担当しています。なお、所属している課の上司は昔、よく水争いをした田能村の人ですが、もちろん仲良く、河川・水路を守る仕事をしています。

今後、農業を継ぐ(兼業)ことになると思いますが、公私共々ますます川や水環境に関わっていくようになると思います。(2003.7.3)

  (澤井河川塾通信Vol.033掲載H15.07.09)

(参考)

「あまがさき山仕事体験隊」http://www.eva.hi-ho.ne.jp/h-yasuda/

「国土交通省猪名川河川事務所」http://www.kkr.mlit.go.jp/inagawa/

 ※地図は猪名川河川事務所HPより

 

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