マイリバー Vol.3(信濃川/森川一郎)

 

思いつくまま信濃川の紹介をします。

 

 1.三尺玉

 長岡の夏といえば花火。8月2日3日に三尺玉(30号、直径90cm、重さ約300kg)の大花火が上がる。淀川の花火大会は最大7号(直径21cm、3kg)くらい。現在では火薬取締法で火薬量が80kgに制限されているが、その前に三尺五寸玉(火薬量120kg)を上げ、日本一の大花火と称している。三尺玉ともなると600m上空で直径650mの花火が開く。市街地で保安距離の直径1200mを確保し、川の中に巨大な打ち揚げ筒を設置できるところはそうないと思う。19万都市長岡に二日で80万人の見物客が来る花火大会が出来るのも、川幅800mを超え、州の発達した信濃川の包容力おかげ。

 なお、隣りの小千谷市片貝の花火は四尺玉(直径120cm)でギネスブックにも載った世界一。日本一と世界一があるというのは不思議ではある。片貝では神社の祭りに村の人が「祝還暦」「祝成人」「孫誕生」等で花火を奉納する。同級生が金を出し合ってスターマインを上げたりするらしい。元々内輪の花火なので、NHKの朝ドラ「こころ」であまり観光客が押し寄せると困るかも。

 

2.オジロワシ

 信濃川には毎冬オジロワシ(天然記念物)のつがいが越冬のため飛来する。オジロワシはつがいが通年行動を共にし、その関係が一生維持されるらしい。長岡市街地あたりの信濃川は銃猟禁止区域が設定されているので、冬は多くの水鳥が来る。それを狙って来るのかと思いきや、長年調査されてる横山さんによると85%は魚を食べているらしい。鳥も魚も豊かな冬の信濃川の象徴がオジロワシかもしれない。

 しかし、困ったことにオジロワシがねぐらにする川の中の林はニセアカシア、オニグルミ、シロヤナギなどが高木化し森のようになってしまっている。オジロワシは困らないかもしれないが、洪水が流れない。元々長岡あたりの信濃川は、与謝野晶子が「あまたある州に一つづつ水色の越の山乗る信濃川かな」と詠んだように、複列砂州の発達した川。水路が蛇行し融雪出水でも河岸が大きく削られるため改修で低水路を固定化してきた。このため高水敷が陸化し樹林化が進んでしまった。信濃川本来の自然は何か、オジロワシに代表される鳥たちにどのような環境がいいか、どのような環境が残せるか議論が必要である。

 

3.長さ日本一367km?

 信濃川といえば、ご存知、長さ日本一367km。年間総流出量159m3これも日本一。豪雪地帯ゆえに水量が多く、また新潟と長野の県境付近は河川勾配が急なため、東京電力とJR東日本により大規模な水力発電が行われている。山の手線や新幹線などJR東日本の使用電力のなんと約1/4が信濃川の水力発電。私も長岡に行くまで知らなかったが、ほとんどの東京の人は信濃川の水で山の手線が動いているとは知らないに違いない。

 この発電のため、長野県の栄村から新潟県の小千谷市までの63.5kmが普段は水のほとんど無い減水区間。地元の人いわく、「367kmから63.5km引いたら長さ日本一では無い。」

水力発電を抑えればその分火力発電が増えるので、信濃川の水環境とCO2の削減をどうバランスさせるかなどと考えると難しい問題ではある。

 しかし、水が少ないため夏場の水温が30度を超え、冷水性の魚が住めない状態では信濃川の包容力を超えていると言わざるを得ない。現在、水温上昇期とサケの遡上期に最大約20m3/sの試験放流を行い、必要流量を見極めようとしているところである。

 

4.淀川のおかげ

 東洋のパナマ運河と言われた大河津分水は越後平野の守り神。明治42年に本格着工し、大正11年に通水、昭和2年の自在堰陥没事故を受けた補修工事を経て昭和6年にほぼ現在の姿となった。堰によって水をコントロールし放水路をつくる技術は淀川で確立。そのおかげで大河津分水も可能となったといえる。淀川放水路で使われた機械も大河津分水に来たらしい。

 淀川の長柄可動堰と毛馬洗堰は淀川大堰と毛馬水門へとかなり以前に姿を変えているが、大河津分水では洗堰の改築を終え、完成後72年を越えた可動堰をこれから改築しようとしているところ。青山士が補修工事の碑文に書いた「人類ノ為メ国ノ為メ」「万象ニ天意ヲ覚ル者ハ幸ナリ」を今一度噛み締めながら新たな大河津分水の姿を求めていこうと思う。    

(澤井河川塾通信Vol.034掲載H15.08.10)

 

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