マイリバー Vol.5(天満の川・大川/白木江都子)

 

   天満の川 淀川支流「大川」 白木 江都子

 

  大川の水の色や、流れる速さを思い出す。流木や犬猫の死骸まで運んで、あるときは大阪港の方へ、あるときは大阪城の方へ、急いで流れていた。どうして流れが変わるのか気になりながら、誰に尋ねた覚えもない。どこの川もそうだと思っていた。潮の干満の影響を受ける感潮川、という言葉があることは最近知った。 

  家のすぐ近所に、ボート屋の家族が住んでいた。おっちゃんは南の島の人のような風貌で、真っ黒に日焼けし、いつも裸足だった。おっちゃんはホウキグサを川に沈め、一つ一つ引き上げるときに、ポトポト落ちるウナギやテナガエビを籠に入れていた。 

  天神橋北詰の階段を下りると、おっちゃんのボート屋がある。2人乗りと3人乗りのボートが8艘ほどロープで繋がれ、音を立ててぶつかり合いながら波に揺られていた。網を持ってフナ・テナガエビ・ウナギの子・ギンメンなどを追いかけ、おっちゃんが見ていないときは、ボートからボートへと飛び移り、たまに川に落ちて(川にはまる、と言っていた)家までずぶ濡れで帰るのは恥ずかしかった。 

  親から焼夷弾のせいだと聞かされる割れ目が、護岸のあちこちにあって、船が通るたびにそこから水しぶきがあがる。水の出入りに合わせて出たり入ったりしていたカニは、今から思うとクロベンケイやアカテガニだったろうか。 

  大川はいきなり深い。兄から借りた硬球で手まりつきをしようとしたが、傾斜護岸だからあっけなく川に落ちた。満潮に近く流れも速かった。兄の怖い顔が浮かび、ためらわずに川に入ったものの、背は立たず流された。当時川沿いの家は裏が畑になっていて、運良く畑仕事をしていたおばちゃんが、竿を差し出して助けてくれた。 

  潮が引くと、角地だけが浅瀬になり、沈んだ艀の残骸が姿を見せる。30pぐらいのハスが数匹、艀の残骸に沿って追いかけあい、悠々と旋回する。ハスを捕まえることができたら、兄や弟たちを驚かせることができるのに、どきどきしながら見えなくなるまで眺めていた。 

  水中の小石は、どうしてあんなにきれいな色なのだろう。乾くとただの石に戻ってがっかりするのに、懲りずに拾って持って帰る。特に白い角の取れた小石が好きだった。 

  ねんねころいち 天満の市よ だいこそろえて 舟に積む 舟に積んだら どこまでいきゃる 木津や難波の橋の下 橋の下には カモメがいやる カモメとりたや 網ほしや 祖母が歌ってくれた「天満の子守歌」を、今私は孫のために歌っている。 弟は孫を抱いて天神橋の上に立ち、飛び交うカモメにパンを与えるという。 人はこんな風にして、川への思いを伝えていくのだろう。

 

(澤井河川塾通信Vol.037掲載H15.11.15)

 

戻る

近畿水の塾TOPページへ