マイリバー Vol.7(「芥川」/中山香代子)

 

  「川遊び」は、幼い頃(小学校3.4年位まで)夏休みの最も楽しみな遊びのひとつでした。場所は高槻市の北「摂津峡」と呼ばれている芥川の上流です。昔も現在も摂津峡は観光地として(最近温泉がでました)そこそこ有名ですが、私が子供の頃は、「泳ぐ、水に入る」事が目的で要はプール代わりのようなイメージだったと記憶しています。今は家族連れと若者グループのバーベキュー用の河原になってしまいましたが。

 夏、父の仕事が休みになると、朝5時頃に起こされて摂津峡にでかけます。持ち物は虫かごと網とカンカン、木綿のワンピースの下には水着を着ていきます。

 かなり上流に行って、手頃な雑木林を見つけ、父を先頭に3人姉妹でカブト、クワガタ採りをします。まだ朝モヤがかかっている6時頃だと、かれらは、樹液を吸っています。

 でかいヤツを発見したとき「胸がドキドキ」したことを今も感覚として覚えていることが不思議です。

テキスト ボックス:  虫取りを終えて陽が昇り、暑くなってきたら河原へいって泳ぎます。 流れがゆるやかで腰くらいまでの深さのあるところを見つけて、上流から下流へ向かって何度も何度も潜ったり、泳いだりします。調子に乗って潜っていくと浅瀬に乗りあげ、あちこち擦りむいたりしました。父は、私たちが流されないよう遊んでいる少し下で、やっぱり「水遊び」していました。ちなみに父の幼い頃は安威川の下流で遊んだそうです。(今は足もつけられませんね)

 私が5歳位の時、めずらしく家族5人で(母は身体が弱かった)川遊びに出かけました。かじか荘という渓流沿いにある旅館に泊まりました。今もかじか荘は有名ですが、かじかはあのカエルのカジカからきています。いつものように川遊びをしているとき、誤って私は小さな吊り橋から川へ落ちてしまいました。びっくりして暴れて水を飲んで下流へどんどん流されてしまいました。当時ころころに太っていましたので「カッパの川流れ」ならぬ「子ぶたの川流れ」になってしまいました。目の前があぶくでいっぱいになりだんだん眠くなっていくような感覚をなんとなく覚えています。

 川岸にいた人たちが大騒ぎになり、河原を走って父が追いつき(だったそう)、気がついた時は父の大きな胸に抱きかかえられていました。水をたくさん飲んでぐったりした私はかじか荘の座敷に寝かされていました。夕方までうつらうつらしている時、遠くでカジカがとても美しい幻想的な声で鳴いていました。父は私の頭をなでていました。

 その大きくて逞しかった父は、私が10代の頃、急逝しました。今も美しい渓流とカジカの鳴き声は父の思いでと重なります。

今も、どんな川に出会っても、ついついそばまで行ってのぞき込んでみたくなります。そして手や足をつけたくなります。「変だ!」と言われますが水の塾の皆さんならきっと気持ちがわかってもらえると思います。

 次回は、堺市の西河さんです。お楽しみに。

(澤井河川塾通信Vol.039掲載H16.1.14)

 

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